古澤巌

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profile 3歳半よりバイオリンを始め、79年日本音楽コンクール第1位。82年桐朋学園大学首席卒業の夏、小澤征爾の推薦でタングルウッド音楽祭のコンサートマスターを務め、ルイ・クラズナー(…
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古澤巌 3歳半よりバイオリンを始め、79年日本音楽コンクール第1位。
82年桐朋学園大学首席卒業の夏、小澤征爾の推薦でタングルウッド音楽祭のコンサートマスターを務め、ルイ・クラズナー(ベルクの協奏曲進呈者)に室内楽を師事。
83年冬から政府給費留学生として全員奨学生のカーチス音楽院(フィラデルフィア)に編入、85年春に卒業。レナード・バーンスタインの超エンターテイメントと、セルジウ・チェリビダッケの悪魔の様な音楽の両極を学ぶ。カーチス時代の2年半、毎週末フィリーのダウンタウンのストリートでプレイする。
85年夏よりモーツァルテウム音楽院(ザルツブルク)に移り、ハンガリーの鬼才シャンドール・ヴェーグ(2年間)、黒海からのユダヤ人ナタン・ミルシテイン(足かけ8年間)、パリのイブリー・ギトリス(4年間)の元で修業する。アバド・コンクール(ソンドリオ)第1位。
86年夏27才の時、大学1年の葉加瀬太郎と出会い、ジプシーバンド「ヴィンヤードシアター」結成。遂にバイオリニストになることを決める。(それまで公演ではNGだったモンティのチャルダッシュの演奏を始める)。
88年、ソリストとコンサートマスターに就任(東京都交響楽団4年間)、世界ツアーに出る。在響中はヨー・ヨー・マとブラームスのドッペルコンチェルト等、様々な協奏曲を演奏する機会を得る。
93年「ピースライトBOX」のCM出演、交流のあったステファン・グラッペリのバンドメンバーとパリで録音する。後に、グラッペリ自身とは96年に彼の最後の録音としてミニアルバムを制作(97年他界)。ギターのアサド兄弟等、修業のため常に海外から素晴らしい音楽家を招聘しながら共演を続ける。
そして、2006年HATSに移籍。今の全てが「はじまり」、現在に至る。
身体の使い方を合気道(3段)に、未知なる幸せをレイキ(皆伝)に、リズム感をダンス(ルイス佐々木、一人でできるもん)に、馬の気持ちを乗馬(20年)に、ビートの波に乗る為にサーフィン教室に、スピード感をレース(テラモス)に、基本の身体造り(PCY)に。まだまだ修業は、続いてゆくのか…。

※2017年4月12日、最新アルバム「愛しみのフーガ〜Mr. Lonley」リリース。


オフィシャルブログ
http://celebstyle.jp/iwao-furusawa/